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子育ては自分手当て~「かいじゅう」性をなだめること~

大阪市PTAだより 第699号

 ある女性議員の怒号が連日TVを賑わしていたことがあった。彼女への批判的な意見が多い中で、他人事ではないとひそかに不安になっている人たちがいる。子育て中の親、特に母親である。誰の中にもコントロールの効かない部分、「かいじゅう」性があると言われる。親になって初めて自分の「かいじゅう」性に気付かされ、戸惑い、誰にも言えずに自分を責める親も少なくない。

 現代のあふれる情報社会は、子育てに有益な情報を多く与えてくれるが、一方で理想的な子育てや母親像が先行し、逆に子育てが窮屈になっているのではないかと感じることがある。相談に来られる母親たちは、こっそりと自らの「かいじゅう」性を吐露し、少し安心して帰って行かれる。子育て支援の多くは、親の「かいじゅう」性を一緒になだめることでもあると思う。

 「かいじゅう性」、当たり前だが子ども時代は幼ければ幼いほどが強い。故に、子どもに関わる大人も「かいじゅう」性を刺激されてしまう。子育て中の親はその最前線にいることになる。子どもの遊びの中に度々登場する「かいじゅう」が自分の姿と重なり、親がドキッとさせられることは子育ての“あるある”であろう。

 モーリス・センダック著『かいじゅうたちのいるところ』という有名な絵本がある。少年マックスがオオカミの着ぐるみを着て大暴れし、母親に怒られて夕食抜きで寝室に放り込まれる。そこから不思議な世界に入り込み、ボートに乗って旅に出る。着いたのは「かいじゅうたちのいるところ」。マックスはそこでかいじゅうの王様になり、かいじゅうたちを支配するが、やがて寂しくなり引き留めようとするかいじゅうたちを振り切って家に帰るという物語である。

 かいじゅうの王様になって自由を得たはずのマックスに家を思い出させたのはなんだったのだろうか。マックスが部屋に戻ったときにそこにあったものは「まだ温かい夕食」だった。マックスに「かいじゅう」の孤独性に気付かせ、「かいじゅう」の世界から解放したのは、安心して子どもでいられる家庭の温かさと心のぬくもりだったのだろう。

 相談に来られた母親によく話すのは「子育ては自分手当て」ということである。誰にでも、良い母親でいたいという思いがある。だが、実際には子どもの「かいじゅう」と共に、親の「かいじゅう」も暴れ出してしまうことがある。「かいじゅう」性は、親をマックスのように孤独にしてしまう。親に必要なのもまた、「かいじゅう」をなだめてくれる”温かさ”と”ぬくもり”なのだと思う。

2017年9月20日発行

*スクールカウンセラーとして「大阪市PTAだより」に掲載したものに加筆修正を加えています。

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